2001年
第6回「麦の会」
出欠「返信用はがき」の近況報告
(2001年9月29日現在)
氏名 近況について
石母田 裕 期末決算のため、出勤しています。残念です。今年5月に九重連山に登ってきました。山々の中心部に法華院温泉山荘があり、そこをベースにして歩きました。”みやまきりしま”に覆われたおだやかな山と活火山の色々な表情を持った山々です。私のこちらでの勤務もあまり長くなさそうです。
和泉真喜子 皆様に会えるのを楽しみにしています。体力、知力は衰える一方なのに、仕事は増える一方。だからそのギャップは大きくなるばかりで常にアップアップしている今日この頃です。
伊東英一 一人娘がやっと、高校2年生になりました。 健康のためにと幼稚園のときにはじめさせたモダンバレエをいまだに続けており、 お父さんのこづかいを圧迫しております。
今年もコンクール2つに、発表会等と、うちの奥さんは“りえママ”状態です。 私はもっぱら、アッシー君です。
今回の麦の会30周年の集いは盛岡メンバーの強い要望により、東京で開催。 国米、吉田、伊東で1月より、準備会を発足しましたが、酒のようはよく進みましたが、 準備の方はなかなか進まず、皆さんにご迷惑をおかけしました。
しかしながら、なんとか皆さん多数出席してくれてほっとしています。 次回はまた盛岡近辺で温泉つきがいいですね?
金子 哲 ご案内をいただきましてありがとうございます。夫は昨年10月6日に病院で亡くなりました。入院する前に家族で岩手県へ久しぶりに行き、学生時代のことなど、昨日のことのように思い出して、話ができました。このような形で欠席通知させていただくのは、残念です。皆様方にどうぞよろしくお伝えください。妻、金子真理子
金子友恵 相変わらず笑い声の大きい私です。当日は”町民体育祭”のため欠席いたします。学校の子供、保護者、そして職員たちと分かり合い、時には闘う毎日です。体力と相談して解禁になった岩手山登山を夢見ております。みなさんもどうぞ!
木田次男 愛知に帰って15年経ち、江戸の事情にすっかり疎く、たまに上京すると変化にびっくりします。
現在子育ては終わったが、大学生の息子二人(京都市23才、小金井市21才)、手元に高3の娘一人(17才)の3人に脛をひたすらかじられ続けています。奥さんは同居していた母が2年前になくなり。あかるくなった?
おぼっこHPみました。すばらしい出来で、さすが繊細な国米作と思いました。再会を楽しみにしています。
国米 健 一人娘はやっと小5。生意気盛りで、親の言うことなどお構いなし、アレコレ言って親を言いくるめようとする始末。
月2〜3回 、小倉達とテニスを楽しんでいる。今年はテニス仲間で北アルプスの奥穂高に登ってきました。
関田幸雄
小夜子
お世話方ありがとうございます。こちら、さんさ踊りが1日〜3日まで、雨と涼しさで今一盛り上がらない感じ。
メンバーの返事はどんな様子でしょうか?
こうして5年がすぐにめぐってきて、としを重ねていくのですね。みんなといっしょに元気でいたいと切に思います。そのひを楽しみに指折り数えましょう。
田中純子 9月29日は運動会の前日で泊まれないけど、せっかく東京で開いてくれるというので宴会のみに出席します。よろしくお願いします。
松本雄三 残念ながら、当日の在所は函館です。麦の会の面々と会えぬこと真に詮方なし。金子の哲ちゃんのこと実に残念ですが、総てのことを甘んじて受けるべき年代となってきたようです。
今回も盛会間違いなし。5年前を思い出しつつ。
<別便でお手紙をいただきましたので、欄外に記します。>
山本桃代 パソコンで遊んでいます。Eメールでうけた写真を印刷したくてデジカメまで買ってしまいました。どうにか刷り上がったけど、目がショボショボ!年には勝てないと実感。
吉田保志 前回から5年、身の回りの変化を改めて思い出すと・・・。
・借金を増やしマンションを買い換え自分の机を持った。
・娘が就職し、ホテルで食事をご馳走になった。
・勤務場所が赤坂から新宿になり勤務時間が延びた。
・チャレンジしていた資格がやっと取れた。
テニスは相変わらず続けています。
六渡いつ子 <別便でお手紙をいただきましたので、欄外に記します。>
若左知義 現在、青森市で単身赴任中です。9月下旬から10月上旬にかけて、公私ともスケジュールが入っていて、申し訳ありませんが欠席させていただきます。



松本雄三君からの手紙
息子どもには人生は波瀾万丈と相場は決まっているから、少々のことで右往左往するなと言い聞かせてはいるが、人生を50年をとうに過ぎると、波瀾万丈であったはずのあれもこれも実際は何事もなかったような気がする今日この頃というところだ。
又、人生を50年もやっていると色々あったはずの人との出会いも実際は何もなかったのではないかと思ったりもする。その中で時間とともに人生そのものをも共有できたのはまさしく学生時代の4年間であり、麦の会だと思う。金子の哲ちゃんもそう思っていたはずだと考えたりしてな。
前の麦の会の窓口は俺としては関田夫妻と思っているので、同封せる形ばかりの物をちょっぴりでも形になしてくれと託す。

当日の盛会は相違なし。皆んなに宜しく。5年前を思い出しつつ。
 

松本寄



六渡いつ子さんからの手紙