卒業して二十年、貴会結成二十周年記念日が、東北新幹線開通日と重なったとは偶然と言え、おめでとうございます。グループ結成時の状況及び活動は、「おぼっこ」の創刊号
あたりに記されていると記憶しております。
二十年経た現在の盛岡は、それはそれで近代的な都市に変貌してると想像しておりますが、二十年前が良き時代と思うのも時間のなせる業で有りましょう。
現役時代は四年生の一年間と非常に短い期間でしたが、その密度は社会人に成ってからの数年分に及んだという実感がする昨今です。純粋に一つの目的に取組むという社会トレーニングを、させていただいたと思っております。
幼稚な私達のグループ発足では有りましたが、この二十年間、後輩の有能な皆様の努力で、今日を迎えられるのは私達の非常な感激であります。
現在、まだまだ頂上の見えない山へ一歩一歩登っている(いや下っているかな)状況です。たまたま化学を専攻し、化学工業会社へ就職し二十年経ちました。(業績などはどちらでも良いことですが、例として又体験として他部門は分からない為)。一つの化合物を商品とする目的とした場合、丁度登山計画を立案するのに等しいです。ただ数次のベースキャンプの往復に時間を取られ、又ルートが悪く、登山断念の例が多いのですが、基本的蓄積は、登山基礎トレーニングの蓄積と相等しく、将来の糧と成るでありましょう。
楽しいことのみでは無い道のりですが、若き良き時代(友人関係も含めて)を有意義に、すごされ、社会という山へ登頂されるグループ後輩皆様の奮起を願い、悪筆の終りといたします。
(結成二十周年記念日が、東北新幹線開通日だったのですね。)
『あゆみ』
◆一年目 昭和37年6月28日 岩大YHG誕生(1962)
36年に設立された岩手県YH協会のグループ活動を中心に、ホステル運動を県内に広めようという気運を受けて、岩大に散らばっていたホステラーが二・三人の有志を中心に結成の準備を広めた結果であった。活動内容は、ホステリングが主目的ではなくホステラー間の親睦を図ることに重点が置かれた。
◆二年目 「おぼっこ」創刊号発行 昭和38年(1963)
グループ員も七十名と増え、親睦面の充実が図られる一方、学生フリー等にオブザーバーとして参加するなど、活動も対外的傾向を帯びてきて、内容的に多彩なホステリングが企画されるようになった。
◆三年目 昭和39年(1964)
集会に重点が置かれるようになり、グループの巨大化に伴い、親睦をはかるための分散形式のホステリングが実施され、グループの安全充実がはかられた。
◆四年目 昭和40年(1965)
グループ内容をより一層充実することと、グループ員の意識向上を目的として、班活動に重点が置かれ、グループ員の必修の課題が研究課題とされた。大自然の中の団体生活により親睦を図り、班活動の再認識グループとしての自覚を深めるという主旨のもとに初の夏季合宿が行われた。
◆五年目 昭和41年(1966)
YH運動の一面を、野外活動の中心としての青少年の健全育成に認め、グループ活動の重点がYH運動の普及と啓蒙に置かれ、「青少年に青空を!!」のテーマのもとに班活動が行われた。
◆六年目 昭和42年(1967)
グループ員総勢百三十名の大所帯となり、班活動のグループ員相互の親睦の場でもあったものから、研究の場へと移行し、具体的テーマ設定により活動の活発化を図った。外にたいしては、東北学生ホステラーの交流の場として、学生ユースラリーの問題提唱とYH運動の啓蒙と普及が行われた。
◆七年目 昭和43年(1968)
グループ員の自主性を高めることにより内部充実を図り、二年越しの班活動でのYH運動の研究成果を実践の場としてのホステル教室、オープンホステリング等で行い、又東北ホステラーとの交流を持ち、共に意識の向上に努めた。
◆八年目 昭和44年(1969)
真のYH運動の推進者となるため、意識向上と内部充実を図ることを目的とし「東北地区YH運動の現状を把握する」という統一テーマで班活動が行われた。
◆九年目 昭和45年(1970)
グループビジョン作成の一環としてグループ員各自のYH観確立のため、集会等で討論の場が設けられYH運動に対し考える姿勢が形成された。
◆十年目 昭和46年(1971)
「よりよきYH環境をつくろう」というスローガンのもとに、旅における環境を追及する時の問題点を明確化して、清掃におけるゴミの問題、それに関連した自然破壊に対する問題をあげ、外部に働きかけ共に考え、改善してゆこうとした。他サークルとの情報交換、交流、グループの対外的意識向上が見られた。
◆十一年目 昭和47年(1972)
グループ員の中の「自然の中で旅をしたい」という共通基盤による、「自然に親しみ自然の良さを知ろう」というテーマのもとにグループ員各自の主体的行動を発揮するような班活動、集会を目指し、外に対しては他サークルとの情報交換親睦交流を行った。
◆十二年目 昭和48年(1973)
「自然を正しく認識し、その認識に基づき自然の良さを広めよう。そして自然を大切にするべく行動しよう。」という方針に基づいて、我グループの主な活動基盤である自然を保護するべく、「清掃ホステリング」とか、あるいは外に対しては知られざる岩手を知らせるためにホステリング研究などが行われた。また日常活動としての集会班活動を行った。
◆十三年目 昭和49年(1974)
YH運動におけるYH精神を自然の中を旅するととらえ、「自然に親しみその良さを広め自然を大切にしよう。そしてそれらを通して自己を高めよう」という方針のもとに、個々人が主体性を持ってグループ活動に参加するべく、グループ方針の実践と班員相互の親睦を目的とする班活動や集会、そしてグループ員の自主性を重視した行事が行われた。また山岳ホステリングにおける企画書の発行については、かなり徹底された。
◆十四年目 昭和50年(1975)
YH運動の精神を自然に帰ることととらえ、その良さを認識し、「自然に接しその尊さを大切にしよう。そしてそれらを広めてゆこう」という方針を掲げ活動を行った。
◆十五年目 昭和51年(1976)
連恊に加盟することにより部内の負担は大きくなるが、それにより部内に還元することは少ないとの判断により、連恊を脱退した。
◆十六年目 昭和52年(1977)
連恊脱退により、他校とのつながりがほとんどなくなったので、それを補うために、連恊の岩手ブロックを岩手パートとし、その活動を行っていくこととした。また協会とのつながりも一時よりは増した。
◆十七年目 昭和53年(1978)
活動はほとんどクラブ内オンリーになった。しかし岩手パートから脱退していた盛岡短期大学とのつながりが強くなってきた。
◆十八年目 昭和54年(1979)
部員数が少なくなり、現状と規約などが食い違っているということになり現状に合った運営を行ってきた。また旅を主体としたコースが各行事に盛り込まれた。
◆十九年目 昭和55年(1980)
新入部員を多く得て再び活況を取りもどし、山岳ホステリングを中心に活発にホステリングが行われると共に、親睦会交流会が毎週のように行われ、部員相互の結びつきが極めて強いものとなった。
◆二十年目 昭和56年(1981)
世の価値観の多様化を反映してか、グループにおいても多種多様の傾向・価値観が見られ、新たな方向性を模索し始めている。
『歌集』