函館白百合学園17回生
(昭和40年卒)1965年BY 赤坂浩美
東京支部同窓会と卒業60周年の記録
http://spdousoukai.com/
http://www.shirayuri.ed.jp/
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2019年9月21日東武ホテルレパント東京(錦糸町)にて
第54回東京支部同窓会 |
17回生(私の代)
19回生(妹の代)
21回生(従妹の代)
の皆さんです。
※2020年の第55回OB会と
S40年卒の同期会は
全て中止になりました。 |
2018年5月27日銀座「sun-高松」第53回東京支部同窓会
( 白百合35回生幹事が活躍) |
同期17回生 |
第21回生は従妹と同じ |
2017年9月30日東京支部同窓会
白百合35回生若手の活躍に期待
(銀座東部ホテル コートヤードマリオネットにて) |
(旧校歌)
露の恵みにうるおいて
茂るさ庭の草ならで色もにおいも
たぐいなき 心の花を咲かせてん
(新校歌)
聖女ジャンルがかかげてし
至誠の旗に正義のつるぎ
おみなのたましいこもりたる
いのちのしるし白百合の花
支部長の渡辺千津子さんの司会と若手によるコーラス |
白百合東京支部で活躍の
下さった幹事の皆様 |
2016年5月26日
国際フォーラムにて |
白百合は函館の白百合が発祥の地ですが、東京で白百合と言えば、九段下の白百合を誰もが想像する様です。私は高校卒業後東京の白百合の大学へは行かず、盛岡の国立一期の岩手大学を卒業し、教育学部なのに教師になることを止め、仙台の叔母のいる修道院に半年居候したのち上京。二年ほど当時の婦人生活という雑誌社に勤務し、昭和47年日本橋蛎殻町に主人と日本リフレッシュ㈱を設立、昭和51年(1976)
から今の市川市に在住して45年になります。
函館白百合の東京支部のOB会には殆ど最初(1984頃)から参加しております。そのころの写真はすべて紙焼きです。スキャンし、1999年ごろからはパソコンに年代別に保存。還暦を過ぎたころからは東京支部の同期会も毎年行なわれるようになり、沢山の懐かしい人々が写っております。
私の白百合時代は、どうしても八幡坂の白百合学園しか思い浮かびません。まして私の家は、このまた坂の上の公会堂のもう一つ上の元町にありました。学校まで、走って5分という距離で友が皆、坂を下りて帰るのに、私だけは一人登って帰宅、裏はすぐ西高のグランドで函館山が唯一私の遊び場でした。 |
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1984年東京支部OB会
山川先生(国語) |
1990年東京支部OB会
に酒田先生(国語) |
1993年東京支部OB会に立川先生 |
1999年東京支部OB会
安藤先生と八代の白百合のルチア様 |
2001年東京支部OB会本間先生 |
2004年東京支部OB会 |
2006年還暦の年・東京支部OB会 |
2009年東京支部OB会 |
八幡坂と函館港 |
旧 八幡坂と函館港 |
母・母の妹・叔母(旧聖保禄)私・妹・従妹2人と7人すべて白百合の卒業です。私と妹は函館を出て東京と長崎へ嫁ぎました。従妹の2人は、現在唯一頼りにしている函館の親戚です。現在は父の兄と同じ墓に(旧姓細川)両親が眠っています。毎年墓参りに帰りますが、やはり故郷とは何物にも替えがたいものです。
故郷は遠くにありて想うものと言いますが、テレビや雑誌でみる函館は、北海道新幹線も開通し、いつまでも変わらぬエキゾチックな最先端の函館を思います。現在の移転した白百合学園は、新幹線の通る北斗市にも空港にも近く、音楽活動も素晴らしく、今回の卒業50周年を祝うOB会に参加させて頂き感激致しました。
世界中どこへ行っても、堂々と通用する国際感覚を身に着けさせて頂き、世界平和のために国際的に日本人として、女性として何が出来るのかを考えさせてくれる環境に育ったことを心から感謝しています。 |
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