北ドイツ紀行(2003.4)NO.1ベルリン


 日本国憲法の「戦争の放棄」は
アメリカに強いられて作成されたのではなく
国連憲章に基づいて作られたものである
 
 “われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、…”“国際の平和および安全を維持するためにわれらの力をあわせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、…” (1945年6月26日、サンフランシスコにおいて51加盟国により調印された国連憲章前文)
 
ブランデンブルク門の前で
 

反戦運動の人々

ワイマールの広場

ブレーメンの広場

フランクフルトの広場

イラクの惨禍を伝える

ケルンの広場

ベルリンの壁博物館
チェックポイントチャーリー

今も残っている検問所

チェックポイントチャーリー

第二次世界大戦の

野外写真展

壁裏にもう一つの壁が


壁の裏側で写真展

二列のレンガの線が壁跡

ドイツの人力車で

デモクラシーを訴えて
壁は崩壊

記念に残った壁の前で
(1994.12)


(2003.4)