「おぼっこ」五周年記念特集号
(昭和41年10月20日発行)復刻版

エピソード  

 ”おぼっこ”では毎号、種々のアンケートをとってグループ員を大いに楽しませている。その人間の一面が現れていて実に愉快である。
 たとえば”火事の時最初に持ち出すものは”という問に”枕”とあわてる人もあれば”イス”と悠然と構えてこれから火事を見物しようとする人もいる。”教科書”なぞと真面目に考える人も案外と多いのも当グループの特色であろうか?
 ”カルピスを飲んだ(初恋をした)のはいつか?との問に次の如きロマンの香り高い答をだしたお方もいる。曰く、
     真っ赤に燃える夕焼けの
     おそらのくもによくにてる
     大きな柔らかな綿菓子を口一杯に頬張った。
     私は五つであの人も、
     今はいづこにおはすやら・・・
 ”人間とは何か?”という問には、最も難解にしてしかも正解に近きものがある。”問うなかれ道遠ければ花も散る”



小生Y・Hと申す者・・・

 いやはや五年たちましたか。なんと言いましょうか感慨無量とでもいいますか・・・。小生がこのグループに住みついてから”おぼっこ”も表紙の色が、茶、緑、赤、紫と揃いこの五周年記念号の黒字に銀文字をもって区切りをつけた様で、我ながら立派になったもんだと・・・いささか照れております。
 しかしながら、小生幾多の至難に耐え、よくこれまで伸びあがったものであります。何故なれば、なにしろグループ員ときた日にゃ、年毎に凶暴性を増すようで、小生の面の皮をひんむくやら、髪の毛を引っ張ってみるやら、しまいには足の裏から、指紋の型まで、舌が二枚ないかだの、顔のまん中の鼻は一体何を意味するかだの・・・今に内蔵にまで手を突っ込まれて引っ掻きまわされるのではないかと内心はらはら。研究心旺盛なのはよいが、小生の身体がぶっ壊されないのを祈るばかり。しかし、それと同時に、小生を可愛がることもはなはだ大にして、鍛錬の結果のこのたくましい、かつまたいとしき我全貌を見てもいただきたいものであります。
 思いますれば五年前、小生は骨と皮にて、かの先達に抱え込まれたのであります。彼らの小生を育てんとの意志は誠に涙ぐましく偉大なものでありました。小生は只腕をひろげて、五年の歳月を渡り歩いてまいりました。彼ら学生はそれでも真摯な目で小生を納得のいくまでねめまわし、しかし、後生大事に引き継いでくれるようであります。小生ふと彼らの本心を察知しかねる時もなきにしもあらずといえど、信じております。
 ただし、一言”吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困って居る。”(「吾輩は猫である」)てなことにならぬよう。先は長いですなあ、実に。

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