「おぼっこ」五周年記念特集号(昭和41年10月20日発行)復刻版






過去と未来への夢
初代会長 小林尚道
(昭和39年卒)

 もう五年も過ぎたのかというのが、私の偽らざる心境である。グループ設立当時の状況は、”おぼっこ”第一号に高橋君が書いた通りであって、自然科学の分野で尊敬されるアイデアの独創性という点から考えれば、お恥しいものであった。

 私は、当時ワンゲルに籍をおき無事平隠(?)にリーダーをおえ四年生になっていた。このまま過していれば、いわゆる御老体御老体と言うことで、本人自ら老人になっていたかもしれない。ここにグループ設立という未知の生命を前にして、処女のごとく、とまどってしまった。私を含む御老体連中、やけにハッスルした事になっているが、これもこれらの家庭の事情にほかならないと思っている。本心をここに披露すると、設立準備会を起した後はすぐにバトンタッチをするつもりなのであった。ところがあけてびっくり玉手箱、四年生が五〜六名、三年がゼロ、二年生二名、一年が十一〜十二名(少々記憶違いがあるかも知れないが)という人員構成であり、とにかくグループを維持するには御老体などと呑気な事を言っておられない状態になっていたのであった。 
 私の経験したYH生活一年というのが、一番キャリアが長かった時代なのだから。そこで一大決心、ガンクビをならべ私達が解釈した方法で、かつ未来の夢の多いクラブである事をモットーに、行動及びディスカッ ションを中心に進んだものでした。疑問点は徹底的につっこまれ、能動的な点に会員が動揺したり、冬の夜、般教の教室は光がなかなか消えない日が続いたものでした。蛇足ながら、このディスカッション時代の疑問点が、良きリーダーを生み出した一つの基になったと私は確信しております。五年も過ぎたのかと書いたが、正直言って現在でも先の理念「若さ」を変えていないっもりであり、その心境から発した言葉と取っていただけるであろうか。「若さ」には未来があるが過去はない。ここらで過去の話はやめたいと思うが、いかがなものであろうか。

 昨年秋、盛岡に集まり、又グループに帰ったような気持です。現在私の頭の中は、あの会合で決定した、YH建設の計画準備の事でいっぱいであります。自力では何年たっても家を建てられない我々サラリーマンでも、全員協力のもとに十年ぐらい後には、グループのYHがもてるかも知れぬという夢が、きっと私達、そして未来のサラリーマシのあなた達に、働く希望を与え、この若い気持を以後も生活に反映させうるとしたら。
 こう孝えてみただけでも愉快な事ではありませんか。我等のアイドル「おぼっこ」を私はこう解釈しているのです。

  少々遅れて気がひけますが、OB・OG会を近いうちに、まとめたいと思います。これとて現役諸君及び諸嬢(女性に対し諸君は失礼でありましよう)が、一緒に進んで行く若さの前に何が不可能でしょうか。ずばり!金かも知れません。力がたらぬかも知れません。しかし若者の特権は夢だけ、特に新しい企画、未来に対する夢だけなのです。この特権さえも捨ててしまったら若さの無いカラだけが残るにすぎない。金及び力は、自己の出来る限りのものから始めて積み重ねていけば良いと、私は考えるのです。私が盛岡を離れてすでに四年目である事も事実ですが以上のような考えが、この四年間を意識させなかったと言って良いかも知れません。
 皆さん!とにかく盛岡の地に我らのYHが建設され、ここに全国に在るグループ員が、その家族が、一同に会した場面を想いうかべただけでもなんと愉快な事では有りませんか。 さあ、みなさん一緒にやりましょう!若者よ!

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