おぼっこ」五周年記念特集号(昭和41年10月20日発行)復刻版



あの頃のこと
昭和39年卒(三代目会長) 斉藤 健

 まず岩大ユースホステルグループが、満五才の誕生を迎えたことに対し、心から〃おめでとう〃といおう。 三代目会長としての私の記憶の中には、YHGの創立から、卒業までが一連のストーリーとして懐しく残っているのです。
昭和三十七年六月創立当時は部貝が二十名にも満たない、それも、ワンダーフォーゲル部の分科会のような状態でした。それが同志の熱意と協力によって成長し、独自の道を歩んでいることを知っている私は、現部員諸君が想像する以上にうれしく且つ感慨深いものがあります。創立当時を思い出して見ますと、当時応用化学四年の小林尚道、高橋紘治、大石善昭の諸氏等数名の学生が、岩手県ユースホステル協会に所属して居られました。
岩手県YH協会は発足してまもないために、県本部の強化と会員の増加をめざすと共に、YH新聞の配布の便宜を兼ねて、各方面にグループ結成を呼びかけたのです。その結果として創立したものの一つが、前記の諸氏数名を中心にした岩手大学ユースホステルグループであります。
私は昭和三十六年五月に、友人の紹介で宮城県YH協会に加入して居りましたので、設立総会に出席したわけです。設立総会に於いて、二年であった私が一躍副会長にさせられたのには多少とまどいました。そんなわけで創立当時より副会長をしていた私が、二代目会長の橘 紘武氏よりバトンを受けついでも、野外活動を主としたYH精神の追求という基本的な考え方には変わりはなかったのです。ただ私個人として言えることは、YHGと似かよった性格を持つワンダーフォーゲル部出身の自分がユースホステルについて、ワンゲルからの逃避的な考え方を持とうとしたことは否定できません。というのはユースホステルという言葉を初めて知って、その内容について、まったく無知であった時分に、ワンゲルと類似していると思われたユースホステルを、まったく色彩の異なるものであると考えようとしていたのです。というのはワンゲルとユースホステルの類似性についての当時の、客観的概念から、ユースホステル独自の道を進むに当っての運営上の心理的面の不安があったからにほかならないのです。しかし、YHが活動し始め、時間の経過と共に、自分なりに両者の違いが解ってきたのです。極端に言って、ワンゲルは〃歩くことによる個々人の人身の鍛練〃とでも言おうか。それに対しユースホステルは〃個人の心身の鍛練〃もあるだろうが、それよりも〃ホステラー間の融和をはかることにより、道徳を身に付け、社会の秩序の高揚を目差した社会への呼びかけ〃である。そして、人間形成をして言うなれぱ、ワンゲルは自分自身を耐え、見い出してゆくのに対して、ユースホステルは集団における己れの発見であると、私は思います。そして、IUYHGの歴史における我々の時は〃YH〃というものを他人(集団)に働きかけるよりも、(まったく働きかけなかったわけではない。)個々人が、とにかく様々に動いてみることによって、行動を通して、〃YH〃を各自がそれなりに受けとり見つめ合って、今日のYHGの基盤らしきものを作ったと思うのです。
当時のエピソードとして次の様な事がありました。YHG発足後二十名そこそこの部員で、一年たらずで迎えた昭和三十八年四月には、新入部員が三十数名でこれまでの部員数よりはるかに多かったのです。一挙に六十名にもなってしまった部をどうやって指導していったらよいものか、二代目会長の橘 紘武氏と随分頭をなやましたものです。まして指導する側の我々役員ですら、一年に満たないYHの経験で細々ながら、できるだけ太く見せようと、苦労したものでした。それに同級生が少く、同年輩の相談相手がいなかったのも種々の面で苦労しました。そして部創立当初より活動していた部員は一年生二年生にかかわらず上級生に頼ることなく、自ら進んで良くやってくれたものであります。
以上のようなことは、単なる一例にすぎませんが思い浮べると、次々に苦笑せざるを得ない思い出はつきません。
そして、設立総会に出席していた面々が、IUYHGにとって、すでに懐しき人々となった今日では、YHGは、一段と新しきセンスのクラブになるであろうし、より一層の進歩を期待したいのです。現部員諸君、諸君は我々の経過してきた道を、再び歩むことはないだろう。すなわち、クラブの初期の様々な出来事はもう訪れないであろうから。しかし、それらを参考にして、YHGをさらに発展させ、前進させる使命を諸君は持っているのです。そして、五つの年輪を持った一本の木が、年と共にその幹を太くし、枝葉が増えてゆくような、我がIUYHGでありたいと、一先輩として思うのです。
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