望むこと 37年卒 内山紀昭
年々YH運動は拡大しているようだ。そしてこの中にあって、YHをどのように利用するにしろ、学生の占める位置は大きいようだ。YH運動を今目的に発展させた原動力は学生による活動であろう。学生の活動とともに、ペアレントのYH運動に対する寄与も大きく、逆に学生がペアレントを啓発した意義も大きいであろう。学生に限ったことではないが、ホステラーがペアレントに求める期待は大きく、しばしばホステルを評価するに当って、ペアレントをもって代表することも見受けられよう。時にはペアレントから何かを得ようとしてホステリングに向うこともあろう。ペアレント生活を夢見るに充分な程、それは魅力的である。ではペアレントに何を求めているのだろうか。どのようなタイプのペアレントが俗に言ってモテるのであろうか。
一、ミーナィングをもち、ホステラーとともに戯れること。 等々を考えてみた。しかしながら道楽は別として、ホステルとともに歩むならば、ペアレントとしての職業意識、あるいは生活基盤を持ち、自己の理想を進めていくには、経営として成立させねばならないし、ペアレント稼業を自己の価値を出せる最大級のものとして考えなければならない。一方ホステルに対するペアレントの立場として、四六時中ホステラーとともに存在しなくとも、ホステラーにホステルを使用するチャンスを与えるだけであっても、ホステラーに寄与する度合が決っして小さいものではないことを、ホステルまたはペアレントを評価する際に心得ていなければならないだろう。 我々は教育を受けることによって自己を向上させ、可能性を高め方向づけしてきた。こうしてYH運動なるものが目前に現れた時、どうなるだろう。この運動が自己の寄与し得るあるいは発揮できる可能性のなかで、いかなる価値を有するかを考えても無駄であるまい。この運動が自己に対してある種の教育または試練として受け入れられる場合には迷わず飛び込んで行っても良いと思う。しかし、そうでない場合、もし寄与し得る可能性がYH運動以上の価値あるものを有している場合には、YH運動は第二義以下のものとして考えなければならないし、YH運動を自己を最大に発揮できるものと判断すれば第一義のものとなろう。このように二者択一として考えるのは決して良好な方法でないだろうが、価値判断は常に〃より〃良いものという表現を取るであろうから、選択することを否定するわけにはいかない。ここでロマンチストに批判したいのだ。 |
目次に戻る |