より抜粋 その1

落語家のルーツは、平安時代の「お伽衆」
と呼ばれ、軽口噺をして人々
を楽しませ、次第にストーリーのある
「はなし」を語るようになり、
これらのジャンルの一部が「落し噺」
これが現在の落語と言われています。

勢朝通信その3  勢朝通信その2  勢朝通信その1
勢朝通信その4   勢朝通信その5   勢朝通信その6
勢朝通信その7 
しゅんぷうていせいちょうです。よろしく
 
http://seicho.dynax.co.jp/top.asp
2012年6月10日
 
誉め言葉 皆様は何と言われて誉められると嬉しいですか?
名人【桂文楽】師は「キラリと光るものがある」とか「親孝行な人です」等と、その芸人の技量に合わせて使い分けていらっしゃったそうです。
噺家に対して一番多いお客様の誉め言葉は「良く長い落語憶えられましたね」です(笑) 【小円歌】(三味線弾く長身の美女)が、ある宴会の席で唄って、踊って…お客が「【小円歌】さんは良いね〜」「三味線が良いの?容姿が?声が?踊りが?」「大きくて見やすいところ」{テレビじゃない}
 【菊千代】(日本初の女性真打の一人)さんは、何度かお仕事貰っているご婦人に会う度に「【菊千代】さんは本当に八方美人ですわね〜」「いつお会いしても八方美人ですわよね〜」と誉められるそうです(笑)
 【柳家はん治】さんが、大田区のお祭りに余興に行ったら、一人の老人が「【はん治】が良かった、【はん治】【はん治】」と他の出演者に目もくれない…「私の落語そんなに良かったですか?」と照れながら聞いたら「いや、名前が気に入った!俺と同じだから」次の年に又同じ場所に行って「今年は【はんじ】おじいちゃんはいらっしゃらないんですか?」と聞いたら「【はんじ】じいさん死んじゃった、『さけ茶漬け』食い過ぎて」「『鮭茶漬け』って体に悪いんですか?」と聞いたら
「『鮭茶漬け』じゃなくて『酒茶漬け』飯に酒かけて食ってたの」
 ヨイショの達人【志ん駒】師がお世話になってるお客の見舞いに行ったところ「おい【志ん駒】お前だけは本当の事を言ってくれ、俺は癌なんだろう」すかさず「何を馬鹿な事を、社長は普段の行いが良いのに癌になる筈がないでしょう」と言おうと思ったら
「社長は生前の行いが良いのだから」と言ってしまったそうです。
 蛇足ながら私は余り人の悪口を言ったおぼえはありません(笑)その人間に正当な評価を与えていると思っています…
悪口に聞こえたら、その人物が悪い人なのです(爆)  
2012年6月12日
 
あり得ない言葉
 一般でも「かみさんでも、もらったらしっかりするだろう」はありますが【小三太】兄さんは師【小さん】から「二つ目にでも成ればしっかりするだろう!」「かみさんでも貰ったらしっかりするだろう!」「子供でも出来ればしっかりするだろう!」「真打にでも成ればしっかりするだろう!」極めつけが「弟子でも取ればしっかりするだろう!!」結局「しっかりしないまま」【小さん】師匠はあの世へ召されました(爆)
 4年付き合ったカップルの別れ話【女】「私とあなたの4年間は遊びだったの」【男】「仕事のわけないだろう」{実話みたいです}
 スチュワーデスが「おしぼりでございます」をなぜか【鶴瓶】師に渡す時だけ「おしぼりでござる」【鶴瓶】師は「かたじけない」と言って受け取ったそうです
 【小袁治師のおかみさん】のお友達が【円蔵】師に言った言葉。「私はもし自分の亭主に先立たれたら、亭主の骨を食べちゃうの」「死んだ後も一緒に居たいんだ?」「ううん、ウンコにして流すの」{【円蔵】師から直接伺いました}
 【林家ぺー】さんが、あこがれの【長嶋茂雄】氏に会った時に「僕も立教大学です!」ことさら学閥を大切にする【長嶋】氏は大喜びで握手を…【ぺー】さん「僕が立教受かってればですけど」{いつも高座で言うギャグを本人に} 【林家源平】さんが、元かみさんから言われた言葉「子供達は私が引き取るから…あなたは『息をひきとって』よ」
 【林家鉄平】さんが元かみさんと別れる事が決まって、「今更だけど、俺の何処が嫌いだったの?」元かみさん「顔」
 【歌之介】兄さんが、かみさんに「こんな遅くまで、どこで飲んでたんだ」かみさん「口から飲んでたの」 
2012年10月4日
 さぁ秋です。勢朝通信復活の季節です。世の中の中途半端を叩き斬ってみます…例えば
【オスプレイ】「飛行機なんだか〜ヘリコプターなんだか〜中途半端」みたいなやつです。因みに【オスプレイ】は鳥の名前、和名は【みさご】だそうです。鷹みたい鳥…鷹派の象徴
【シェールオイル】「石油なんだか〜石炭なんだか」
【野田総理】「どじょうなんだか〜ダチョウ(倶楽部)なんだか」「首相なんだか〜殊勝じゃないんだか」
【新内閣人事】「革新なんだか〜確信犯なんだか」
【自民党長老】「老獪なんだか〜老害なんだか」
【安倍総裁】「傀儡なんだか〜外来(患者)なんだか」
【杉ちゃん】「ワイルドなんだか〜まだいるどなんだか」{お笑い芸人は消耗品?}
【太田光】「爆笑とる芸人なんだか〜問題ばっかり起こす芸人なんだか」{全く食に興味がないそうです}
【木曽福島】「木曽(岐阜県)なんだか〜福島県なんだか」{長野県でした(笑)}【おねぇ系芸能人】「かまなんだか〜なべなんだか〜おこげなんだか」{ワケわからん} 
 2012年12月9日
 短くて評判良いので続けて送ります(笑)小噺です。
「北朝鮮のミサイルは元は中国製かな?ロシア製?」「多分世襲制」
「野田さん…選挙後まだドジョウ政権を維持出来ますか?」「間違いなく出来ます!!」「すくいようがねぇな〜」
「太陽の党って結局吸収されちゃうかもね〜」「ソーラーみた事か」
「小沢先生、選挙が終わったら南国の離れ小島でのんびりしたらどうでしょうか?」「もう【りとう】は懲り懲りだ!!」
「森口さん、間違いなく【りんしょう】したんですね」「間違いなくやりました!」「何時ですか?」「小学校の頃に【静かな湖畔】で」「それは【輪唱】!」
 2012年12月12日
 私、山中教授に似てますか?昨日は金沢でうけましたが…
「マラソンは駄目ですが【長距離うそ】は得意です」とフレーズを考えました(笑) 山中伸弥教授(やまなか しんや、1962年(昭和37年)9月4日生 )同い年で、私は8月8日ですから、ひと月も違いません(親のひとつきでこうも違うのか)こちらはiPS単細胞=『【i】いつも【P】ペラペラ【S】喋っている、口数多いが言葉が足りない(by歌武蔵)単細胞野郎』です。山中教授は全身リウマチの患者さんに触発されて研究に精進したそうですが…。
 私もリウマチの方に笑いで貢献してます『間接的に』ですが。
2012年12月24日 
 クリスマス・イヴなので良い話を…【五代目柳朝】のおかみさん、【大野より】(故人)は、人生全てを夫【柳朝】に捧げた女性でした。
 ある年の『母の日』に吐血をして、練馬区の病院に搬入されました。丁度私が行った時に「誰が入院費払うんだ」と病室に事務員が脅しに来る様な病院で、【小朝】に伝えたところ「とんでもない病院だ!直ぐに移せ」と…翌日には『順天堂病院・特別室』(一泊8万8千円)の部屋に寝てました(笑)
 僅か三ヶ月… 末期癌におかされていて、亡くなる数日前に、私が(かみさん連れで)お見舞いに行くと…意識が朦朧としているのに、震えながら引出しから財布を出して「食堂へ行って、何か食べておいで」とお金を下さるのです…。
 最期の最期まで廻りに気を遣い、優しかったおかみさんは、大好きだった夫の【柳朝】のまるで後を追うように…13年後に亡くなりました。
2012年12月26日 
 
『安倍新内閣』発足しました
『二匹目のどじょう内閣』(野田どじょう内閣と同じ徹)になってしまうか!?
『聖母安倍マリア内閣』(【イエス】マン以外は【キリスト】ル(切り捨てる)等しない公平な、多くの人民を救える政治の出来る内閣になるか?『安倍川餅内閣』(常に【きな(こ)】臭い醜聞が付きまとう危う内閣)になるか? 安倍さん自身か『【しんぞう】に毛が生えたような』剛腕を発揮出来るか…?やっぱり『【しんぞう】だけに【けっかん】だらけ』で短期で終わるか? 
大臣達が良き【ペースメーカー】になり【しんぞう】を支えてほしいものです。
2012年12月30日
 今年の10大ニュースな方々に捧げる『勢朝版あの人にこの歌を』
1位 ノーベル生理学・医学賞に山中教
 (私的には「落語界の山中教授〔じゃまなか?〕」でネタにさせて戴きました)所で【森口】さんは何処へ?臨床したと公言したあの人は?そんな山中教授に捧げる歌は『乾杯』『喝采』でも良いのですが〜
『汽車』にしました
 {原曲}♪〜今は山中〜今は浜〜今は鉄橋渡るぞ と〜思う間も無く〜トンネルの〜闇を通って〜広野原〜
 ♪〜今は山中〜昔じゃま〜いつか結果を残すぞと〜思い悩んで〜トンネルの〜闇を抜けたら〜ノーベル賞
 【森口】に捧げる歌は勿論『うそ』
2位 東京スカイツリー開業『炭鉱節』
 ♪〜月が出た出た〜(中略) あんまり〜ツリーが高いので〜さぞやお月さん〜うるさかろ〜サノヨイヨイ
3位 ロンドン五輪、史上最多のメダル38個『夕日』
 {原曲}♪〜ギンギンぎらぎら夕日が沈む〜ギンギンぎらぎら日が沈む〜
♪〜金銀ぎらぎらメダルが踊る〜一番踊った〜銅メダル(良いんです!銅は金と同 じと書くし、銀は金より良し…です)
2013年1月1日
 今年の通信は
『短くて良い話しor笑える話し』にします
{その1}師匠【柳朝】が留守の時に電話が掛かってくると、師匠がパチンコに行ってたのに、おかみさんは「床屋に行ってます」と伝えていた。体裁が良く聞こえるでしょう?
【柳朝】はスナックでは『ブランディーの水割り』(通称【ブラみず】)を飲んでいた。お酒強く無かったし、飲んでだ後に喋ると良い香りがするから。【柳朝】のダンディズム
2013年1月2日
 『短かくて良い話』
{その2}【小朝】の二番弟子【玉の輔】真打披露の打ち上げ『上野・かに道楽』(総勢五十人近かったかも?)【志ん朝】師が【小朝】に「自分が生涯でいちば〜ん稽古したのは【柳朝】兄貴と会をやっていた時だ!…その事を今お前に伝えておく!!」(痺れます)打ち上げは盛り上がり、お開き間近「僕が払うよ」の【小朝】に「私の披露目ですから、私が払います!」
【玉の輔】一世一代の名台詞(よっ!中村屋!!)暫くすると、涙目になって戻って来た【玉】が「師匠〜すいません〜カードの限度額超えてました」(因みに【玉の輔】は蟹アレルギー、蟹喰えないのに…)
 2013年1月4日
 兄弟子【一朝】の一番弟子が【春風亭朝之助】で二つ目になる事になり、先代【三遊亭朝之助】氏の墓参りに行く事になったが、墓の所在地が判らず、唯一の手掛かり、親友だった【談志】師匠の根津マンションへ。【一朝】が出向き「ウチの朝吉が朝之助になりたいんで師匠…お墓を教えて頂きたいんですが…」「知らねー自分で探せ」苦心惨憺…漸く羽田にある真言宗『自性院』へ。ご住職に訊ねたら「あの墓は談志さんが建てた…」これが『談志イズム』
2013年1月6日
  今や一門総領【古今亭志ん橋】師は師匠【志ん朝】師に「俺は何べんお前の事を首にしようと思ったか!?」普通自分の師匠から面と向かってそう言われたら「申し訳ございませんでした…そんなにしくじりましたか」平謝りでしょう?【志ん橋】師は「だったら首にすりゃ〜良かったでしょう、何でくびにしなかったんですか?」(凄い弟子です)【志ん朝】師 「おまぇはな〜首にしたら、恨んで家に火をつけるタイプだから我慢したんだよ!!」
(【志ん橋】師は噺家になる前はガソリンスタンドの店員でした)
2013年1月7日
 【三遊亭朝三】さんと言うほぼ同期の先輩がおりました。入門してすぐに師匠の【円之助】師が脳溢血で倒れ…世に言う『泣き中気』というやつで、毎日「俺はもう駄目だ〜死ぬんだ〜生きてても落語出来ないんだ〜」の繰返し…【朝三】さん(当時は【円吉】)は、なだめすかし、毎日介護して、ついに師匠を高座復帰させ、自身も二つ目昇進!一門に春が来た!!と誰もが喜んだ矢先…当人が交通事故で即死…通夜の席の【円之助】師の言葉が今でも耳に残ってます「あいつは何の為に生まれて来たんだい?俺を看病する為にかい?」余程ショックだったんでしょう、師匠も後を追う様に(一年しない内)亡くなってしまいました。皆さん命ある幸せに感謝しましょう。
2013年1月10日
 【五代目小さん】師が『78』で【談志】師が『57』の時に日比谷の某所で取っ組み合い(寸前)の喧嘩…
 内容(実話ですよ)「人様の披露目の楽屋に来て威張りやがって!大体おめぇは髭面でもってテレビ出やがって、それ見た晩になぁ〜俺は夢の中で、おめぇの髭当たってやったんだ」「昔みてぇに、ぶって叱ってくれよ〜」「俺はおめぇをぶった覚えはねぇ」師弟の喧嘩は【狸】も喰わない!?
 
『似て非なるもの』の巻です。
『倖田來未(こうだ・くみ)』と「江沢民(こう・たくみん)」片や「30過ぎたら羊水腐るで〜」発言した歌手。片や揚子江がある国の元国家元首(主席)
『立川志の輔(たてかわ・しのすけ)』と「立川市の受付(たちかわしの・うけつけ)」片や国民をガッテンさせる。片や市民を発展させる?
『壇蜜(だん・みつ)』と「せんみつ」片や露出狂タレント。片や露出なしタレント。
『松明(たいまつ)』と「体罰(たいばつ)」片や辺りを明るく照らし出す。片や明るい笑顔を取り上げて、暗くする。
2013年1月13日 
 
フレーズを考えました。
「お言葉返すな借金返せ!」【セント・ルイス】
「心臓止めるなタクシー止めろ」【高田文夫】等に対抗します。
「選挙するなら謙虚になれ!」
「大臣増やすな貧乏減らせ!」
「体罰しないで大仏拝め!」(某バスケ部顧問へ)
「ネコババするな犬死にするぞ」(某宝くじ売りのパート)
「新党増やすな銭湯増やせ」(某小沢氏たまには人の役にたって欲しい)
「返り望むな粋にしろ!」(必ず身返り求めるのを『田舎もん了見』と呼び、江戸っ子が嫌いました)
「扇子を汚すなセンスを磨け」(某噺家へ)
「血統ひくいが血糖値高い」
「年収低いが血圧高い」
「アメリカ50州得意なのは空襲」(主な産業は軍需産業)「爆弾落とすな金落とせ」「地雷埋めるな金脈埋めろ」 「戦争す るな清掃しろ」(もう日本から出ていって欲しい)
2013年1月14日
 
「成人の心が招くか大寒波」(生まれてから一度も好景気を知らない新成人達に捧げます) 今日は残したい言葉
「憚りながら(はばかりながら)」【おそれおおいことを致しますが・失礼ですが・出過ぎた真似をしますが】
「卒爾ながら(そつじながら)」【突然で失礼ですがという時の決まり文句】「そぞろ」【何かに気をとられて落ち着かず目前の事に集中できないさま】
「一入(ひとしお)」【一段と。いっそうに】
「さんざめく」【ざわざわと騒ぐ】
「千尋(ちひろ)」【非常に深い事。非常に長い事】「八千代(やちよ)」【永い年月】
「佇まい(たたずまい)」【自然に醸し出されている雰囲気】
「ゆめゆめ」【必ず、決して】
「まんじり」【まどろむさま。じっと見つめるさま】
「気散じ(きさんじ)」【気晴らし。気苦労の無い様。のんき】
2013年1月15日
  残したい言葉2
「見初める(みそめる)」【一目惚れ】
「仮初(かりそめ)」【その場限りで一時的なこと】
「頑是ない(がんぜない)」【幼くて聞き分けがない。無邪気である】
「たまゆら」【ほんのしばらくの間】
「静寂(しじま)」【静まり返ること】
「たおやか」【姿形がほっそりとし動きがしなやかな様】
「凛として(りんとして)」【きびしく引き締まって、りりしいようす】
「礎(いしずえ)」【ものごとの基礎となるもの】
2013年11月16日
 【勝新太郎】さんは、ある時期毎日家に帰る度に『アドリブ』で演技をしていたそうです。玄関入った瞬間「玉緒〜今戻った、いゃぁ〜今日は患者が絶えなくて」と帰れば『医者』の家…【玉緒】さんは阿吽の呼吸で『医者の妻』を演じなくてはいけません。次の日は「今日は檀家廻りでくたびれた」毎日設定をかえて【玉緒】さんを鍛えていたそうです。御本人から直接伺った貴重な話しです。その【勝新】さんが、麻薬で追われてハワイに滞在…何と2年振りに自宅に戻った際に「玉緒〜【たいま】〜」阿吽の呼吸で「あなた【コカイン】なさいませオホホホホ〜、2年も海外でお疲れになりましたやろ〜」「おう、もう【ヘロイン・ヘロイン】に疲れた、2年振りの我が家で、今晩は何喰わせてくれる?」「あんたの好きな【シャブ・シャブ】ですわ」の答えに、流石の【勝新】も【アヘン】としたとか?(後半は作り話です)
2013年1月28日
 素朴な疑問シリーズ
 米は何故【こめ】?米の語源は「こめる(籠める)」の連用形が名詞化したとする説が有力となっていて古く米は「ヨネ」の使用例が多く「コメ」の語は使用例が少なかったそうです。「コメ」の語が多く用いられたのは改まった儀式の場であったことから、米には神聖なものや生命力のようなものが宿っており「籠められたもの」の意味で「コメ」になったといった解釈もあるとか。平安中期以降「ヨネ」は古語として扱われ「コメ」が多用されるようになった…そうです。東は【桂米丸(よねまる)】師:西は【桂米朝】師が共に現役最高齢…『米寿』間近かの御二人ですが、くれぐれも「高座で八十八回噛まない」様に節に希望致します。
2013年2月4日
 我が国は古来より、人が亡くなった際に様々な表現をします。「冥土へ旅立つ」「黄泉に赴く」「帰幽」(幽界へ帰る)「あの世へ行く」「他界」「往生」「成仏」(高僧の死は)「入滅」「入寂」「遷化」
「鬼籍に入る」「天寿を全うする」「大往生する」「臨終」「物故」「亡くなる」「逝去」「逝く」「世を去る」「不帰の客となる」「帰らぬ人となる」「土に帰る」「早世」「夭折」「若死にする」「果てる」「朽ちる」「散る」「客死する」「行き倒れる」「くたばる」
 王や女王および四位や五位の位階をもつ者の死は「卒去(そつきょ)」皇族や三位以上の公卿の死は「薨去(こうきょ)」天皇や皇帝の死は「崩御(ほうぎょ)」「登遐(とうか)」貴人の死は「身罷(みまか)る」「お隠れになる」昨日節分の日に召された【團十郎】丈に相応しいのは…『おはこに納まった』でしょうか?御冥福を御祈り致します。
2013年2月12日
 その昔ある『立川流の真打パーティー』で故【和田勉】(NHK敏腕プロデューサ ー)氏に紹介された事がありました。
「こちらは落語家の【春風亭勢朝】さんで す」【勉】氏曰く「ガハハハ〜駄目・ダメ(おっと、名物プロデューサーいきなりのダメ出しか?と思いました)上が【春風亭】じゃあ売れない!【松本】に変えな さい…【松本せいちょう】ガハハハ〜」たまたま脇で聞いていた【家元・立川談志】師匠が「何だ今のは!下らな過ぎだ!明日まで駄洒落100本書いて持っ て来い!」何と【和田勉】氏は本当に100本書いて送ったそうです(笑)
  【談志】師も流石に感心して、当時ご自分が責任編集していた雑誌に掲載しました。奇しくも同じ年(2011年)に亡くなったお二人ですが【和田】氏の方が 六歳も上なのに【家元】の方が随分と威張ってました(爆)蓮の台(はちすのうてな)の上で【勉】氏にダメ出しする【家元】の姿が目に浮かびます。
2013年2月13日
 浅草に安くて美味しい『ふぐ三木』さんというお店がありました。ある日【高田文夫】一行で来店、ワイワイガヤガヤとやっていて…フッと気が付くと、二つ隣の席にただならぬ雰囲気を醸し出す一行が居て、中心には何処かで見た顔…何と【野口五郎】さんではあ〜りませんか!!(【チャリー浜】風で)案外足は短かくなく(座ってましたが)店は確かに『私鉄沿線』(地下鉄銀座線)にありましたが『オレンジの雨』は降ってませんでしたし、その日は『青い日曜日』でも『悲しみの日曜日』でもなく『青いリンゴ』のデザートも出ませんでしたが、河豚を鱈腹(フグなのにタラフク…ここ笑う所です)食べて、締めの雑炊に混入した溶き卵の『きみが美しすぎて』思わず「♪〜美しすぎて〜黄身がこ〜わい」と歌ってしまった私でした。
 河豚は勿論美味しいけど、やっぱり、中州【よしおか】さんのあら鍋だな〜と 『博多みれん』な私でもありました(【野口五郎】のデビュー曲…「わっかんねぇ 〜だろ〜な」【松鶴家千とせ】風で)「イェ〜イ!!」
2013年2月19日
  豪華客船『飛鳥』には、『一世』と『二世』両方乗らせて戴きました。『一世』の方がアットホームでお客様受けも良かったのですが…その『一世』で歴史的な瞬間を経験しました。
 2004年12月26日(日)19時29分に、浦賀沖で突然の停船です!?何と「お客様の荷物(ハンドバック1個)を積み残し、タグボートで追ってます」のアナウンスが!?まさかの浦賀沖1時間待ち…私は「ペリーの気持ちが良くわかる」と一人合点して笑ってましたが、他の乗客はイライラ(一人の荷物の為に499人待たせるかよ!)
 荷物が届いてからは、飛ばす・跳ばす・翔ばす・都バス?…のに乗客は何故かニコニコ…そうです『飛鳥』の乗客は海の上を走ってるのが好きなのです!「いかりがおさまってるから」(「怒りが治まる」と「錨が収まる」の洒落です…念の為)
2013年2月24日
 
『榎茸』『エリンギ』ですが「エノキに生えることから『榎茸』」はわかりますが『エリンギ』は?{イタリア語「eryngi」からの外来語。セリ科の「エリンギウム・エリンジウム(eryngium)」の枯死した根に寄生することから}だそうです。
 高校時代の【生物の先生】は『きのこ博士』と呼ばれてましたが、ある日「自分の採ったきのこにあたったらしい」との噂が流れ、誰も信じなくなりました(笑)
 「得手に鼻突く」「弘法にも筆の誤り」です{【弘法】とは【嵯峨天皇】【橘逸勢】と共に平安時代の三筆の一人【空海】様の事。天皇の命を受けて、応天門の額を書いたが「応」の字の「心」の一番上の点をひとつ書き落とした。弘法様は書き損じた額を下ろさず、筆を投げつけて見事に点を書いたそうです}皆さん『きのこ』達は偉大です!感謝しつつ沢山食べましょう…だって人々に「【ほうし(胞子と奉仕です)】し続けている」じゃありませんか!!採り過ぎは【きんし】です!
2013年3月3日
 
『秋刀魚(さんま)』
 実は『目黒のさんま祭り』には、因縁があります。作家であり、目黒駅にある乾物屋の倅でもある【ベン村さ来】さんから「品川区の『目黒の秋刀魚祭り』で『目黒のさんま』やってくれませんか?」「やらない」「誰かいません?」「じゃあ【三遊亭吉窓】さん!」あれから16・7年、今じゃ目黒区も渋谷区(『となりのさんま祭』ってヨネスケさんかよ!!)もお祭り騒ぎ。
 でも私の最高だった秋刀魚は『福島県・都路村』の「秋刀魚三日干し」でしょう!?偶然の産物ですが、私の水の師匠でもある【高田】氏が、囲炉裏端に串刺しの秋刀魚を三日置いてけぼり「勿体ないから食べましょう!」これは驚愕の美味でした。旨い成分が凝縮しているではあ〜りませんか。私も味のある芸人を目指します。「さんまはみやこに限る!」
2013年3月5日
 その昔大阪でのお話し・・入門したての前座に、いきなり意地悪な先輩の洗礼「今目の前にあるもんで地口(駄洒落)ゆうてみぃ!」そこあった
『苺』を持った前座に「【いちごいちえ】とか【いちご生まれのこん平で〜す】とかはあかんでぇ!!」とネタ止めの卑劣な先輩に、その苺を突き付けて「ストロベリー見て我がふり直せ」{元は『人のふり見て我がふり直せ 』です}この前座の名は『桂べかこ』今の『桂南光』師です。
2013年3月6日 
 
『生姜(しょうが)』も好きです。全般的に好きですが、やっぱ『紅生姜』で【しょうが】?{ハイ駄洒落}
 『もんじゃ焼き』や『焼きそば』の脇役としても、良い味出してますが、主役に成りうる『串揚げ』も見事です。私は『紅生姜の串揚げ』は、お参りに行ってから食す様心掛けております。勿論「小野照様」へ詣でます。
【小野照ジンジャー】{駄洒落ばかりで【しょうが】ないって、誰か【谷中】おしたでしょう?ちょっと【はじかみ】ながら書いたのに。まぁ【しょうが】く生の頃からこんな奴です。何、早く【ジンジャー】えだと?百歳の【しょうが】つまで生きてやる}
2013年3月8日
 
は『秋刀魚の三日干し』の時同様「福島県・双葉郡・都路村」(【高田】氏の山荘)で味わった『鯛が丸ごと入った薪で炊いた釜ご飯』の味の衝撃と、お焦げの鮮烈さが永遠に記憶に残っております。
 腕良し(【高田】氏はプロの料理師さんです)・水良し(福島県は水の聖地だったのですが…)・空気良し(雲海が広がってました)の三拍子揃った奇跡の逸品でありました。双葉郡始め福島の復興を心より祈っております。
2013年3月12日
 『納豆・なっとう』
 群馬県伊勢崎今泉町の長屋で育った私の『納豆』初体験は…「納豆売りのおじさん」からです。落語の名フレーズの一つ「先々の時計になれや小商人(こあきゅうど)」 の通り、毎日決まった時間に自転車で「なっと〜う〜」と良く通る声で売りに来るおじさんの『納豆』は、永遠に美味しい記憶に刷り込まれてます。三角の経木に入った大粒『納豆』でしたっけ…「ある時期から『納豆』と『豆腐』が入れ違いになった。豆を腐らせネバネバするのが『豆腐』豆を型に流し込むのが『納豆』ではないか?」等と一時期まことしやかに流れましたが…{僧侶が寺院で出納事務を行う「納所(なっしょ)」で作られ、豆を桶や壷に納めて貯蔵したため、こう呼ばれるようになったとする説が有力とされている。「なっ」は呉音「なふ」が転じた「なっ」で、「とう」は漢音「とう」からの和製漢語である}と言う訳で、入れ違い説は都市伝説でした。
 蛇足ながら私のお薦めは【くめ納豆】と【鎌倉山納豆】です…いずれも「なっとうくう」の味です。
2013年3月17日 
 
『鱧』の思い出
 亡き司会の神様【玉置宏】先生のご自宅伺った際に、同行者の一人天才漫画家【高橋春男】先生が【玉置】先生の奥様が「【鱧・はも】です」とおっしゃって差し出したのに「へぇ〜【ハム】ですか?白い【ハム】は珍しいですね〜」(明らかに【肉のハム】と勘違い)に一同大笑いでした。
『鱧の骨切り』は相当の技術が要るらしいですが、『ハムの骨切り』は更に難儀でしょうね〜「ハムには骨が無い」ですから。 
2013年3月20日
  世に名高い珍味
『くちこ』(ナマコの卵巣)『ノレソレ』(鰻の稚魚)『カラスミ』『ナマコ』『ホォアグラ』『トリュフ』『キャビア』等を抑え私の「キング・オブ・珍味」は…『和倉温泉・加賀屋』{私が仕事で行った当時日本一の稼働を誇る宿でした…何と大浴場の中にエレベーターがあるのです!知らない客同士が素っ裸で同じエレベーターに乗る気まずさ(笑)}のショップに置いてあった『鮑の塩辛』に決定致しました!今もあるか知らん?
2013年3月23日
『松茸』…元々は庶民の手の届く範囲にあったのに、昭和30年代から高級品に成り上がったそうです。極みは【みかわ】さんの「松茸一本揚げ」ですが【小朝】師にご馳走になる以外は行きません(笑)ので『松茸』はやめて庶民的に『舞茸』にします(爆)『まいたけ』そうです【前田武彦】略して『マイタケ』(オイオイ!!)【バンツマ】(坂東妻三郎)【オカッパル】(岡晴夫)【カスッパチ】(春日八郎)【ハイカツ】(灰田勝彦)【キムタク】(木村拓也)とスターは略されて一流。
 因みに【きゃりーぱみゅぱみゅ】は【きゃろらいん・ちゃろんぷろっぷ・きゃりーぱみゅぱみゅ】の略だそうです。かの【ピカソ】のフルネーム【パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ】
 今回は『舞茸』関係無くなりました。
2013年3月23日
『水』です。
 小学生の頃に、静岡県三島市の戚宅へ行った際に口にした「富士山の伏流水」が『水』とのファースト・インパクトでした。あれから40年「水とは何なのか?」が人生のテーマと言っても過言ではありません!!水の師匠【田でん・高田氏】の薫陶もあり、現在は「鹿児島財宝温泉の水」{地下千メートルから湧き出す温泉水}と「新井薬師様の水」{正真正銘の井戸水です}を常飲してます。人間は殆ど『水』で出来てます。「いつまでも水水しく、嫌な事は水に流して、コンコンと湧き出す活気ある人生」の為に『良い水』を摂取しましょう。水に関する言葉を「上善水の如し:上善(理想的な生き方)は水に学べ。なすことに迷ったら水に習え」「水魚の交わり:【劉備玄徳】と【諸葛亮孔明】」「水喧嘩は雨で直る」「覆水盆に返らず【太公望呂尚】と【元妻】」「水商売…客の人気によって収入が左右される商売。江戸時代、両国の河岸に出店する茶店が、座敷で女性が接客する本業をごまかし、表向きは夏に冷水を売っていたため“水茶屋”と呼ばれていたことが語源」だそうです、我が家は代々水商売で〜す。
 2013年3月27日
 
『もんじゃ焼き』
 かつては駄菓子屋で売られ、江戸時代後期にはあったと言われ、タネで鉄板に文字を書いたことから「文字焼き」が「もんじゃ焼き」になったとする説が最有力。地域によって「ぼった」「ぼったら」「もんじやき」「もんじゃ」など呼び方があり、千葉県浦安市の「ぼったら」は、一般的なもんじゃ焼きより少し固め。「一銭洋食」や「どんどん焼き」などは、もんじゃ焼きが変化したものだと言われている}との事です。
 私は年間に最も『もんじゃ焼き』を食す噺家ではないでしょうか?多い時は週三です。実は昨日も(笑)出発が『駄菓子屋もんじゃ』ですから、家もんじゃ派です。かみさん呆れながらも「一人用ホットプレート」買ってくれましたが、二つ潰しました(爆)『もんじゃ』の醍醐味は、仕上げの『おせんべぇ』です!!技術を要します(笑)目指すは『もんじゃ芸人』…「薄っぺらに見えて、どうしてどうして、味わい深くて、飽きの来ない」です。
2013年3月28日
 
『湯豆腐』
 究極の湯豆腐は、満開の桜の元でのもの…その昔【柳家小満ん】師匠がやろうとした『飛鳥山極めの花見の宴』 全て芝居仕立てで、洒落のわかる粋なお客様を集って用意周到『一同湯豆腐道具一式を持って、ワイワイガヤガヤ、飛鳥山の見晴らしの良い場所に着くと、敷くものが無い!?世話役を非難しているところに、偶然段ボール持ったホームレスが通りかかり、一行に加わる(ホームレス役はグループで一番偉い社長)全てセッティングが整い、さぁ湯豆腐の段になると、豆腐が無い!又々世話役を責めているところに、自転車でラッパを吹きながら豆腐屋登場(二番目に偉い社長)に「おじさん、豆腐買い切るから一緒に花見しよう」と誘い入れ、周りの目を引きつつ、大いに盛り上がる』と完璧なシナリオで、道具(ホームレスの衣装から豆腐屋の自転車・ラッパ等々)も全て揃え、全員のスケジュールおさえて、いざ本番!!当日は春の嵐で、殆んど人が居ない(爆)結局花見は行ったそうです…ガード下で。
2013年4月1日
 
『LOOKチョコレート』
 不二家が製造している箱入りのチョコレート。1962年(昭和37年)より発売開始。板チョコのような箱型ケースに入っているが一口大の粒チョコで(発売当初は板チョコだった)ミルクチョコレートに風味付けされたクリームが入っているのが特徴。発売当初のフレーバーはコーヒー・苺・バナナ・キャラメルだった。長く内部のクリームにはパイン・苺・アーモンド・バナナの組合せが採用されている。
 発売から50年で私と同期です(笑)他には『電子レンジ(R-10)早川電機工業(現=シャープ)54万円』『バファリン[ライオン]』『パンシロン[ロート製薬200円]』『リポビタンD[大正製薬100ml入り150円] 』『リプトン・ティーパック』『きゅうりのキューちゃん[東海漬物1袋35円] 』『ランチクラッカー[前田製菓20円]』(当たり前田のクラッカー)等…『電子レンジ』が54万円!?(シャープのレンジがチ〜ンと鳴らした元祖らしいです)私もまだまだ現役で「ファイト!一発!!」頑張ります。
2013年4月2日
 
『レタス』「乳液」を意味するラテンから出た語。レタスを切ると白い乳状の液が出る為。液は「ラクチュコピクリン」「レタスオピウム」「レタス阿片」「ラクトカリウム」等と呼ばれるポリフェノールの一種で、かつては鎮静剤として用いられた。古代ギリシャ・ローマでは、レタスが安眠をもたらす野菜として紀元前から食べられていたといわれるが、玉レタスが広まったのは16世紀頃からなので、当時のレタスは結球しないタイプのものと考えられている。 眠れない方は『羊』ではなくて『レタスが一個…レタスが二個…』と数えてみたら?因みに寝る時に『羊』を数えるのは『シープ』が呼吸法になる為「ワンシープ…ツーシープ」で眠くなるので、日本語の「ひつじ」でやっても効果ありません!!尚『レタス』のお薦めは『レタスしゃぶしゃぶ』です。 
2013年4月4日
 ラストは総集編も込めて
『和食全般』です。
 世界の三大料理は誰が決めたか『フランス・中華・トルコ』だそうですが『フランス料理屋』は『イタリア料理屋』にとって変わられ『中華料理』で一番の人気は「ラーメン」(中国の拉麺と日本のラーメンは別物です)因みに中華料理店の回転テーブルは昭和7年(1932年)目黒雅叙園の創設者【細川力蔵】さんが披露宴の際に客が料理を取るために席を立つ姿を見て「食事を楽しくできないか」と大工さんに相談したところ「テーブルを2枚重ねて上のテーブルだけ回転させる」ことを提案されたのが始まりで、日本に住んでいる華僑がこのテーブルに目をつけ、中国へ広めたことから中華料理のテーブルというイメージがついたのだとか。
 トルコ料理に至っては「ケバブ(シシカバブ)」位しか知られてません。今や我が国における世界三大料理は『和食・イタ飯・アメリカのジャンクフード』ではないでしょうか(笑)
 和食は良いものは何でも取り入れる懐の深さが真骨頂…私の押しは【赤羽:とね川】さんの「ソース炒飯」【牛込柳町:つず久】さんの「わさび飯」【四谷荒木町:うぶか】さんの「創作海老蟹料理」【新宿三丁目:あずま】さん「豚のジュウジュウ焼きと銀糸パン」勿論まだまだありますが、取り敢えず『食の話し』は仲締めです。
2013年4月5日
  
今回から新シリーズ『毎日が記念日』です
 
4月5日『横町の日』四(よ)五(こ)で「よこちょう」の語呂合せ…かつては『横丁の若様』と呼ばれた噺家が数十年後『金髪豚野郎』呼ばわりされると1958年のこの日、読売巨人軍の長嶋茂雄が開幕戦に先発出場し、公式戦デビューした。国鉄のエース・金田正一投手を相手に4打席連続三振を喫した。この度国民栄誉賞受賞(遅すぎるとの声頻り)の昭和の太陽【長嶋茂雄】巨人軍終身名誉監督の歴史的デビューの日です。
 今更ですが長嶋茂雄伝説を『ラジオ番組で自己紹介をといわれ「ど〜も【長嶋しげる】です」(しかも2度)』『(長嶋さんと誕生日が一緒です」と女性に言われて「で、何月生まれなの〜?」』『ゴルフ場へ向かっていて「ゴルフ場は右だ」と思い込み、右ばかり見ていてたどり着かない「そうだ、右じゃなくて左だった」と気が付き、何故かその場でUターンして、今度は左ばかり見ていたので、結局ゴルフ場へたどり着かなかった』『玉川で練習後「車のキーが無いキーが無い」と騒ぐから、2時間位方々皆で探して「見つかりませんでした」と伝えたら「ごめ〜ん、今日は車乗って来なかったんだ!」』『宮崎のキャンプでスイカ食べてたら、急に思いつき電話口へ「う〜んもしもし、長嶋で〜す。スイカ美味しいの今から食べに来ない?あっそう、うんうん、無理か残念〜じゃあ又」電話を切ったミスターに「何処へ電話かけたんですか?」と聞いたら「う〜ん玉川」』
 監督になってからも凄い!!『自分の娘「三奈」について聞かれ→ああ、三奈子の事ですか〜』『【鈴木康友】に「【ノブヨシ】どうなんだ?調子は?」』『ピッチャー【阿波口】→ブルペンの【阿波野】と【川口】が大あわて(どっちが出るんだ!?)』『【広沢】代打時に「代打!【広岡】!」『【清水】選手に「【柳田】!」』『田村コピーの【谷】を指名したドラフト後「【谷】コピーの【田村】君」』『【大豊】→【ニイハオ】君』『【高倉健】を「どうも〜【鶴】さん」』『【桑田】の結婚式で「【クラダ】は〜」』『【はなわ】に対して「【佐賀】君の出身はどこなの?」』…キリが無いのでこの
辺で。
2013年4月6日
 【太田南畝(おおた・なんぽ)】(蜀山人)が亡くなった日です。1749(寛延2年3月3日)〜1823(文政6年4月6日)天明期を代表する文人・狂歌師。落語にも出て参ります『まだ青い素人(しろと)浄瑠璃玄人(くろ)がって赤い顔して黄な声を出す』(青・白・黒・赤・黄の色尽くになってます)の作者です。「恐れ入谷の鬼子母神どうで有馬の水天宮志やれの内のお祖師様」の「恐れ入谷の鬼子母神」の部分だけがあまりにも有名ですが。
【蜀山人】作 「雑巾も当て字で書けば蔵と金あちら拭く拭くこちら福福」(下女が掃除の後雑巾を床の間に置き忘れ、主人に叱られているのを南畝が狂歌で助け舟を出したというもの)「世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶといひて夜もねられず」「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」(政道批判もお手の物)「世の中は色と酒とが敵(かたき)なりどふぞ敵にめぐりあいたい」「山吹のはながみばかり金入れにみのひとつだになきぞ悲しき」「世の中はいつも月夜に米のめしさてまた申し金のほしさよ』(庶民の本音)
 
辞世の句が「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」粋な人生にまなびたいものです。
 2013年4月10日
 
25年前に『ラジオビバリー昼ズ』がスタートした日であります。私も6年もレギュラーをやらせて戴きました。バブルの頃で、楽しい思い出ばかりです。本日何年振りかでスタジオトークして参りました
 誕生日の方【永六輔】(『上を向いて歩こう』等の作詞家・放送作家・タレント:1939年)【水島新司】(漫画家『ドカベン』今だに連載中:1950年)【和田アキ子】(歌手・タレント:1952年)【さだまさし】(シンガー・ソングライター:1952年)【スティーブン=セガール 】(「沈黙シリーズ」俳優:1952年)何とあの「200キロで走る列車から落ちても、かすり傷一つおわない男【セガール】氏と、マッチ棒の様な【さだまさし】氏が全く同じ日に生まれているとは!?」(片や『沈黙』片や『饒舌』)
 2013年4月11日
 
『ガッツポーズの日』1974年のこの日、ボクシングWBCライト級タイトルマッチで、ガッツ石松がチャンピオンのロドルフォ・ゴンザレスに勝利した。 その時両手を挙げて喜びを表わした姿を新聞記者が「ガッツポーズ」と表現したのが、ガッツポーズという言葉が広まるきっかけとなった言われているそうです。『ガッツ伝説』指定券持たずグリーン車へ…車掌から「お客さん、ここは指定席です移って下さい」に「俺は自由席の切符を持ってるんだからどの席に座っても自由だろ」
 解説していて「いやーチャンピオン背中からオーロラが出てるよ」スタッフに「ガッツさんあれって北斗七星ですよね?」と尋ねられ「うーん俺はこの辺に住んでる者じゃないからわからないねぇ」
 NHK連想ゲームにて→ヒント「赤ちゃん」「入れるもの」ガッツ『コインロッカー』「こちらの曲を歌っているヒトは誰ですか?」♪〜もしも〜私が家を建てたなら〜(小坂明子「あなた」)→「オンナの大工!」「12月25日はクリスマスですが…誰の誕生日ですか?」→「七面鳥!」「世界の三大珍味トリュフ、フォアグラ、もうひとつは?」→「サキイカ!」「それは…なとりの珍味ですねぇ…。」「あっ!思い出した!!」→「キャタピラ!」【長渕剛】の「ろくなもんじゃねえ」が流れる♪〜ピー・ピー・ピー ピー・ピー・ピー♪→「腹痛(はらいた)!」「好きな数字は?」→「ラッキーセブンの3!」同窓会で旧友に「お前老けたな〜何歳になったんだ?」
2013年4月12日
 『東京大学創立記念日』1877年のこの日、東京開成学校と東京医学校を併合して東京大学が開設された。1886年に東京帝国大学となり1947年に再び東京大学に改称された}元々【東大】→【帝大】→【東大】だったとは!?では【東大】に関する『嘘本』(嘘の様な本当の話し)
 東京出の営業マンが名古屋に本社を置く社長と商談。話がほぼまとまり雑談に「うちの子供が『めいだい』に入ったよ」「私大ですね?」社長はカンカンに怒り商談はご破算。名古屋地区で「めいだい」は『名古屋大学』
 故【志ん朝】師に東大出の弟子入り志願者「東大迄出て噺家にならなくても良いでしょう??一晩考えてごらん」翌日「一晩良く考えまして、弟子入りは馬鹿馬鹿しいので辞めます」(楽屋一同「やっぱり東大出は頭が良い」)
【金原亭伯楽】師に東大の弟子が入り「明日8時頃に来い」翌日7時前に来て、師匠を起こす…「お前8時頃って言ったら、5分か10分前位だろう!東大出だか何だか知らねぇけどよ『過ぎたるは(尚)及ばざるが如し』ってぇ言葉を知らねぇのか?」弟子が「ハイ『論語』です!!(師匠は『論語とは知らなかった)
 故【文朝】師の倅が東大も受かる頭脳で、京大に受かったらしいと聞いた、故【先代正楽】師の一言「ふ〜ん、本当の子じゃねぇんだろ〜」
 ある噺家の妹が結婚(私が司会)旦那の家が学歴偏重の極みで、息子が産まれた際に親戚に回状が…「この度男児が誕生【孝一郎】(字は?です)と命名し、将来は『東大』を出し、然るべき官僚になる予定故に、親戚一同は【孝一郎様】と呼ぶように」とのお達しが(爆)私曰く「東大入れるつもりなら、何故(【こういちろう】何て付けたんだ?高校で一浪しちゃうだろう!!」
 泥棒が捕まり、千件以上の犯行を全て(日時・金額)記憶していた。「そんなに頭が良いなら、泥棒なんかやらず『東大』に入れただろう?」の警官に「『東大』何てドライバー一本で入れますよ」(究極の【プラス思考】ドライバーだけにね)
2013年4月13日
 『決闘の日』慶長17(1612)年旧暦4月13日美作の浪人【宮本武蔵】と【佐々木小次郎】の決闘が、豊前小倉沖の『巌流島』(舟島)で行われたとされた日ですが…『武蔵』は【吉川英二】先生の作り上げたイメージが強い様です。
『小説宮本武蔵』は朝日新聞で1935年の8月23日から4年続き、二天一流の開祖でもある剣豪・宮本武蔵の剣士として自己を確立するに至るまでの成長を描く。同時に、彼を取り巻く武芸者たちの人生も描かれている。太平洋戦争下の人心に呼応し、新聞小説史上かつてないほどの人気を得た。連載後も永く多くの人々が影響を受けた旨述べているそうです。
 そもそも【菊池寛】と【直木三十五】との間に生じた武蔵の強弱論争に端を発するそうで{1932年に直木が「武蔵=非名人説」を発表し、それに対して菊池が「武蔵=名人説」を唱えて反論。論争の最中、直木が吉川英治に対してどちらの説を採るかを尋ねたところ、吉川は菊池説を支持すると表明した。直木は「武蔵を名人とする理由を発表せよ」と迫ったが、この要求に対して吉川は沈黙を守り1935年になり本作を発表。徳川夢声によるラジオ朗読や映画化されるほどの人気を博し、「武蔵=名人説」が多くの支持を集める結果となったそうです。(参考:海音寺潮五郎『史談と史論』講談社文庫)
 時に人は勝手なイメージを代々伝えられてしまう様です。気の毒なのが【吉良上野之介】公と【お岩さん】です。御二人のイメージは捏造です!!
 おまけ『一日一言』消え行く良い言葉を→「まほろば」{「まほろば」とは「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語「まほらば」「まほらま」とも言う。覚えておきましょう。
2013年4月14日
 4月14日(1865年)【リンカーン】米大統領がフォード劇場で狙撃される。
 午後10時頃フォード劇場で妻【メアリー・トッド】らと『われらのアメリカのいとこ』の観劇中に【ジョン・ウィルクス・ブース】(俳優)に撃たれた【リンカーン】は翌朝7時22分に逝去した。そして1912年の4月14日『豪華客船タイタニック号』がニューファントランド島沖で氷山に衝突。翌日未明に沈没。死者1513人。
 奇しくもどちらも映画になり大々ヒット『タイタニック』は1998年のアカデミー賞において、作品賞・監督賞・撮影賞・主題歌賞・音楽賞・衣裳デザイン賞・視覚効果賞・録音賞・音響効果賞・音響賞・編集賞の11部門で受賞した。 イタリアの大馬鹿船長【スケッティーノ】も映画にして、世紀の愚挙を歴史に刻んで欲しいです!!『バガデミー賞』総なめ確実でしょう。
『一日一言』→「蝋涙(ろうるい)」俳句でもかじらないと聞く事のない言葉 です。蝋燭立ての下に蝋燭が流れ落ちて固まったものです「大地震あと蝋涙のこ ぼれ落ち」【多田道草】(1924〜2007)
2013年4月15日 
 ユニークな方々が生まれた日です。
1452年【レオナルド・ダ・ヴィンチ 】(モナリザは有名過ぎますね)
1848年七代目【桂文治】(当代は十一代)
1912年【金日成】(キム・イルソン) (孫はどうにかなりませんか?)
1934年【エリザベス・モンゴメリー 】(今再放送中「奥様は魔女」のサマンサ」)
1934年【田原総一朗】(昔東京12チャンネルで『金曜日スペシャル』作ってました)魔女【サマンサ】と【朝まで生テレビ】が全く同じ日生まれとは!?魔法の様な偶然です。
1944年【釜本邦茂】(メキシコ五輪銅メダルの際の得点王)
1948年【ヨネスケ】(桂米助) (『隣の晩ごはん』がとうとう『隣の朝ごはん』に)【范文雀】(女優)[2002年11月5日歿]『隣の晩ごはん』と『サインはVの【ジュン・サンダース】』が同じ日もビックリ。蛇足ながら【范文雀】は本名で「ハーフで日本人の血が半分弱の洒落」は俗説でした。
1949年【酒井和歌子】(島崎じゃありません!我ら世代は和歌子は【酒井】でした)
 『一日一言』→「世知辛い」{「世知」は本来仏教用語で「世俗の知恵」を意味 し、日本では「世渡りの才」も表すようになり、さらに「勘定高い」「せこい」  といった意味でも用いられるようになった「勘定高い」という意味の「世知」を強めた「辛い」で、世知辛いの本来の意味は「勘定高くて抜け目がない」との事。
2013年4月16日 
 1889年20世紀最大の映画作家・喜劇王【チャールズ・チャップリン】がイギリスで生まれた日です。
 彼が遺した珠玉の名言を「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」「1人殺せば悪党で、100万人殺せば英雄になる。数が殺人を神聖なものにする」「人生に必要なものは、勇気と想像力。それと、ほんの少しのお金です。」「死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ」「無駄な一日。それは笑いのない日である」「下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ」「意味を考えていたら始まらないよ。人生ってのは欲望さ。意味なんてどうでもいいじゃないか」
 「私たちは生き方を見失ってしまったのだ。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。そういう感情なしには世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう」
 『一日一言』→「おおわらわ」{【大童】は髪の乱れの形容から生まれた語である。 【童】は元服前の子供(3歳から10歳くらい)のことであるが、子供が髪を束 ねないで垂らしているその髪形もいう。大人はきちんと髪を結っているが、戦場  で兜を脱ぎ捨てると髪が乱れ、童のようになることから、髪を乱して奮戦するさ  まを「大きな童」で「大童」と言うようになり、一心不乱になって行うさまも 「大童」と言うようになった}【チャップリン】はまさに『大童な生涯』でした。
2013年4月20日 
 勝手に『三行レター』です。
「麻生副総理」→『ボルサリーノにギャングマフラー(あなたの好きな「ゴルゴ13」の世界観らしいですが「G20」は「ゴルゴ20」じゃありません』「三國廉太郎」氏→『静かな静かな世界から、あなたが捨てた子を見て上げてください、良い役者になってますよ』
「アメリカ爆弾犯」→『弟はもういません。とっとと神妙に捕まって下さい*圧力鍋の使い方間違えてますよ』
「北の三代目」→『後先考えて行動なさい。あなたの誇る兵器達はさ程優秀ではありません。他国と核が違います』
「某子役」→『あなたは相当疲れてますよ(鏡でじっくり見てみたら)くっきり出てますほうれい線』『ほうれい線(取れたら五つ若返るとか)あなたは三つになっちゃうね』
「中国人」→『他国へ来たなら少しは節度を守りなさい。「礼節」と言うのは確かあなたの国の言葉です』
「猫」→『一年に一度位で良いから、ちゃんと背筋を伸ばして猫なで声もやめなさい』
「犬」→『暑くても余り舌を出さない、尻尾振り過ぎない、コマーシャルに出過ぎない』
2013年4月22日 
 4月22日『よい夫婦の日』
 講談社が1994年に制定。四(よ)二(ふ)二(ふ)で「よいふうふ」の語呂合せでは某夫婦川柳の歴代大賞(ビフォアー)に私が(アフター)を詠んでしまいます。
「夜泣きする子を抱く妻を抱きしめる」→『夜泣きした子はすねかじる親泣かせ』
「神田川待たせた俺が今は待つ」→『神田川 浅瀬な夫婦仲』
「医者よりも看護婦よりもあなたの手」→『あなたの手手錠かけられ服役中』「喧嘩したそれでも風呂は沸いている」→『沸かしてる姿見たらば家政婦だ』「仲のいい夫婦が多い坂の町」→『言い合いの夫婦が多い大阪の町』
「新しい手帳に妻の誕生日」→『その手帳何処に置いたかわからない』
「ときどきは洗濯している赤い糸」→『洗う時妻こっそりと漂白剤』
 『一日一言』→「偕老同穴」「偕老」は「生きている時はともに老い」の意味「同穴」は「死んでからは同じ墓に入る」の意味で、夫婦が仲むつまじく固く、 結ばれていることを表す。
 一端「偕老同穴の契り」を結んだならば、生涯添い 遂げるのが一番です。
 2013年4月27日
 『哲学の日』紀元前399年4月27日ギリシアの哲学者【ソクラテス】が告発され死刑判決が下された。弟子たちは脱獄を勧めたが「悪法も法」だと言って毒杯を煽った。
【ソクラテス】と言えば『悪妻』落語界の『悪妻伝説』【某師匠】の【おかみさん】は、旦那の芸には一切興味なく、麻雀・パチンコ・ゴルフ三昧(まわりは師匠が惚れていたので善しとしてます)首都高で旦那が、黙って指二本(200円出せを暗黙で)出したら…煙草を挟んだ【おかみさん】です(笑)その旦那がビールのCMに出た際のキャチコピーが「あたしはドライじゃぁありません!!」(当時バカ売れのアサヒに対して)私は陰で「師匠はドライじゃなくても、かみさんは超スーパードライだよなぁ」と言ってました。
 地方に行った時「あらまぁこの駐車場って全国にあるんだ?『げっきょく』チェーンなんだ」お分かりでしょうか?『月極め』です(笑)「今日【えんのすけ】兄さん来るから」と聞いて、急にソワソワし出してお化粧始めたのもこの【おかみさん】です。勿論「『落語家【円之助】』と『歌舞伎の【猿之助】』と間違えたのです(歌舞伎役者に【猿之助】兄さんとは言わない(爆)
【ソクラテス】曰く「良い妻を持てば、幸福になるだろう。悪い妻を持てば、哲学者になるだろう」「友と敵、両方が居なければならない。友は忠告を与えて、敵は警告を与える」
 「男は敷居を跨げば七人の敵がいる」と言いますが【某師匠】には六人しか敵がいませんでした…【おかみさん】が一人目だったから
です。
2013年4月28日
 今日は『象の日』
(享保14)年の4月28日交趾国(現在のベトナム)からの献上品として清の商人により初めて日本に渡来した象が、中御門天皇の御前で披露された。
 かつて象で一儲けを企んだのが【木久扇】師…タイから象を買い【木久象】と名付け、子供達を背に乗せて儲け様と、まず【象】を購入(当時日本円で数百万と思われます)ところが【象】は【象使い】込みでないと購入出来ないとの事(笑)
『笑点成金』の師には可能な額だったので、全て話を付け、手金も打って、後は【象】の到着を待つばかり…ところが後から「ワシントン条約で輸入禁止」とわかり、結局『象と象使い』の写真だけが届き「象は元気です!」とメッセージが添えてあったとか(爆)
『一日一言』→「象の語源」中国名「象(ゾウ)(ザウ)(ショウ)」に由来す る。漢字表記「象」は、ゾウの体形から発生した象形文字。古名「象(キサ)」 は、牙に木目の筋があることから「(キサ)」の意とする説など、他にも「牙」 に由来する説が多数あるそうです。
2013年4月29日 
 今日は『昭和の日』→「昭和」の由来は中国の四書五経の一つ書経尭典の『百姓昭明、協和萬邦』「昭(しょう)」は、人々の「徳」を表し「和(わ)」は「心和む」を表します、世界中国民の平和および世界各国の共存繁栄を願うとの意味だそうです。
 昭和の大スター【石原裕次郎】さんは、数々のヒット曲があったのに『紅白歌合戦』には1957年・第8回に(【雪村いづみ】の応援)出演したのみで、歌手としては生涯出場しなかったそうです。「歌は素人」という理由で辞退していたとか…(らしくて素敵です)
 その【裕ちゃん】と下田のホテルのバーで偶然出会い「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められたのが【なかにし礼】さん!!石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒット(その後【黛ジュン】「天使の誘惑」【菅原洋一】「今日でお別れ」【細川たかし】「北酒場」で日本レコード大賞を3度受賞)
 勿論【裕ちゃん】にも「サヨナラ横浜」「みんな誰かを愛してる」「時間よお前は」「わが人生に悔いなし」等の名曲を提供してます。
 昭和の『粋な出逢い』に『ブランデーグラス』で乾杯しましょう(笑)
2013年4月30日  
 4月30日は【義経】と【弁慶】が亡くなった日→【源九郎判官義経】から「判官贔屓」(はんがんびいき、ほうがんびいき)とは、人々が【義経】に対して抱く、客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことであり、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、敢えて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指す。
 昨日亡くなった【牧伸二】先生に哀悼の意を表して『やんなっちゃった節』で最新ニュースを『♪〜あ〜あ〜やんなっちゃった〜あん〜あん〜あん〜驚いた』『♪〜北方領土の開発進め〜ロシアはまるでヤクザの手口〜返すもんかよ〜あの辺は〜全部まとめてうちの島』『♪〜北の国の将軍は〜どうも病にかかってる〜ミサイルやたらと打ちたがる〜うつぞうつぞの【うつ病】だ〜』『♪〜全く無名の高校生〜いきなり出ました10秒01〜まだまだ行けるぞ〜良い感じ〜上昇桐生に乗っている』『♪〜猪瀬都知事が問題発言〜海外メディアが騒いでる〜真意は違うとコメントしたが〜しょうちで喧嘩を売っている〜』 
2013年5月3日   
『♪〜あ〜あ〜やんなっちゃった〜あん〜あん〜あん〜驚いた』
1『♪〜開幕ダッシュの巨人軍〜いくら何でも走り過ぎ〜あんまり離すとつまらない〜【はら】はやっぱり八分目』
2『♪〜東京演芸協会が〜前会長を突き上げる〜何があったか知らないが〜【伸二】まったら佛様〜』
3『♪〜憲法改正大論争〜9条かえろと泡飛ばす〜9条議論も大事だが〜被災の窮状を救いましょ〜』
4『♪〜【長渕剛】が病気でダウン〜全国ツアーが延期だよ〜どんなに体を鍛えても〜ストレスとやらに「かんぱい」だ〜(♪〜かんぱ〜い〜君は今人生の〜大きな〜大きな〜舞台を〜け〜り〜)』
5『アベノミクスに期待され〜益々苦労の【晋三】さん〜苦労は取れない〜「く」を取れば〜アベノミスになっちゃうよ』6『♪〜世界遺産に富士山認定〜ドンドン増えるぞ登山客〜ガンガン上がるぞ山料金〜富士に「たかね」は付き物だ』
7『♪〜今さらながらの栄誉賞〜【長嶋】さんには遅すぎた〜次に【長さん】目指すのは〜世界遺産じゃないかしら〜』
8『子役はみんな疲れてる〜人生のピークは7歳だ〜中学時代に落ち目になって〜高校出たらば隠居する〜』
9『♪〜NHKの朝ドラで〜可愛い海女さん大人気〜フジは全く敵わない〜「お台場」よりも〜「ダイバー」だ〜』
10『♪〜ディズニーランドにあやかって〜寄席もドンドン集客せねば〜ミッキーマウスは居ないけど〜天井でネズミが待ってるよ』
2013年5月7日  
 
テレビドラマやバラエティー番組、映画等を勝手にアレンジします。
『あまちゃん』海女さんになりたい高校生がやがてアイドルになる青春ドラマ→「尼ちゃん」作家を目指した少女が【瀬戸内晴美】から【寂聴】へと変貌を遂げるドラマ
『リンカーン』リンカーン大統領の物語→「リンカン(林間)」間宮林蔵の物語
『ガリレオ』天才科学者の颯爽とした推理ドラマ→「カリロヨ」天才闇金加害者の殺伐とした推移ドラマ
『ドラえもん』のび太を助ける猫型ロボット→「トラいもん(虎威もん)」虎の威をかる狐型ロボット
『笑点』ご存知【歌丸】【小遊三】【好楽】【木久扇】【昇太】【圓楽】【たい平】【山田】の大喜利→「烝点(じょうてん)」メンバー【裏丸(うらまる)】【誤遊三(ごゆうざ)】【拷楽(ごうらく)】【偽久扇(ぎくおう)】【烝太(じょうた)】【だい平】【圓濁(えんだく)】【邪魔田(じゃまだ)】の放送禁止バトル
 『舟を編む』24万語の辞書を作る男のドラマ→「フネが編む」さ〜て来週の『サザエさん』は…波平さんの為に帽子を手編みするフネさんの巻…ウンガウック『クレヨンしんちゃん』(大人も涙する名作)→「クロヨンしんちゃん(黒四晋ちゃん)」『黒部の太陽』を何と安倍晋三総理を主演でリメイク
『一休さん』アニメの人気作を【鈴木福】でリメイク→「三球さん」地下鉄漫才『三球・照代』の【三球】さんをリバイバルさせる
『東京ドーム始球式』松井・長嶋・原・安倍総理による豪華始球式→「四球式】あの歴史的出来事を再現【松井】と【河野和洋】(松井を五敬遠した明徳義塾投手)を勝負させる
2013年5月15日 
 
『ナナピ』と言う大きなサイトで紹介して戴いてました。
『落語初心者におすすめ!』寄席で会える新作落語の名手3名→1【三遊亭圓歌】2【林家木久扇】3【春風亭勢朝】古典落語が面白いとは言え寄席で何回も続いてしまうとちょっと飽きてきます。
 そこで登場するのが勢朝師匠です。時事ネタを盛り込んだ自作の落語で客席の空気をリフレッシュさせてくれます。豊かな表情と軽妙な語り口、ウィットの利いた噺を披露します。さすが噺家さんと感服していると、いきなり本当にくだらないダジャレで笑いを取りにくるので油断できません。都内の寄席に頻繁に出演されている中堅の落語家さんです。YouTubeの落語協会公式チャンネルでは現役落語家の動画が多数鑑賞できます。勢朝師匠の動画も短時間バージョンがあります。
 落語協会インターネット落語会 おわりに落語の基本は古典にあります。一方で新作落語には分かりやすい面白さがあります。新作落語をきっかけに古典落語に馴染んでいくのもオススメです。ご紹介した落語家さんは古典落語も勿論出来ます。
2013年8月26日 
 
『立川談志』師匠がドラマになり話題になりました…私の知る『落語史』をそこはかとなく書き綴りましょう
 私は入門が許されてから1年半高校に通っていました。卒業していきなり寄席に前座として配属されたのが『池袋演芸場』で【談志】師が主任(とり)と言う最前線でした。普段はお客が数えられる程の『池袋演芸場』は【談志】師が出ると超満員でしたが…主任(とり)まで誰か出ようがクスリともしない、いわゆる『談志信者』の集会場と化すのです…私はまだ落語が喋れなかったので、一緒に楽屋入りした【柳家小幸】さんが寄席での初高座となり、ドンヨリとした客の雰囲気に思わず絶句して、途中で降りてくると言うシーンを目撃しております。この【小幸】さんこそ誰あろう【当代柳亭市馬】落語協会副会長であらせられます(笑)そして私は楽屋で歴史的大しくじりをやらかすのであります!!当時の池袋演芸場は幕が手動式で、前座が紐を引っ張る方式(浅草演芸ホールは今だにですが)で、ある日いつも通り早めに幕を閉めると「今幕を引きやがったのはどいつだ〜!!!」と【談志】師の怒号が響き渡りました。まだ45歳で喉も患ってない頃の迫力たるや、文字通り雷が落ちたかの衝撃でした。直ぐに謝りに行くと「俺は今日の出来が良くなかったので、客に詫びるつもりだったのに、てめぇが幕を締めやがった!!」との由(談志師の本名は{克由})この頃から幕を開ける様になってしまった【談志】師ですが、本来噺家はどんなに出来が良くなくても、全てを噛み締しめて幕を降ろすのが定めです。
 その1はここまで